60才からのひきこもり貧乏ブログ

仕事を半リタイアし、つましい日々の暮らしを綴っています。

人生なんて、大したものではない!

 高齢者になって怒りっぽくなったような気がします。それが人に対してだけでなく、自分対物だったり、自分の行動問題だったりです。


例えば、スリッパが脱いだ時に裏をむいてしまったり、ボタンを掛け違えたり、物を不注意で落としたり、パソコンのキーボードを打ち間違えたりすると烈火のごとく腹が立ちます。



人間に対してもありますが、それほどでもなく、ささいな物に対する怒りほどでもないのです。前頭葉が退化してきたのかもしれません。



直樹賞作家の佐藤愛子さんが「死ぬのは、すっきりしていい。」と言っておられました。「人生なんて、たいしたものではないのだから」ともおっしゃっていました。自分も同感です。


人間の死や生き方を軽視しているわけではありません。ただ、あまりに生きることは尊いものだとか、死んでからの地獄なんてないのに自殺をすれば地獄に落ちるとか。うまく生きること、尊敬される人になること、勤勉で裕福な暮らしをすることなどが最良だという考え方が、自分にとって凄く重いのです。



戦争や災害など起きたら人は死にたくなくても死ぬのです。当たり前のように・・・・それから見れば何を言っているんだと怒られるでしょうが、ミサイルが撃ち込まれることもなく平穏無事に生きていると贅沢かもしれませんが、生きていることがつまらなくなってしまうのです。


しかし、生きることで何が大切なのか面白いことが何なのかわからないのです。個人差はありますが、人生は、大したものではないと思った方が生きやすい気がします。

自分なりの高齢者の生き方

 もう数年前から37.2度くらいの微熱が頻繁に出ます。


現在飲んでいる薬は、血圧を下げる薬、脳梗塞の薬、アレルギーの薬、胃腸の薬、腰痛の薬を毎日飲んでいます。結構な量です。


若いころは医者嫌いで、高熱が出ても、足が骨折しても自然治癒で修復してきたのに、今は、内科外科医院と脳神経外科と総合病院に月1から月2で通院しています。


現在67歳なのに入院するほどではないのですが、どうも体調がすっきりしません。人生100年時代といいますが、そんなに生きたら金もないだろうし、そのころには、認知症をはじめ他の病気にも、かかっていると思うので100歳は無理です。


自分の寿命は70歳で終わると思っていましたが、もしかしたら80歳くらいまで生きるかもしれません。死ぬ準備はできてはいませんが、自分が死ぬこともしばしば考えます。


今はまだ仕事をしているので生活は、そう苦しくはありませんが、年金だけになったら、たいして貯金はないので医療費さえ節約しなければならないかもしれません。


毎日、暮らしていて思うことは老人になると一日が長いのです。夢中になることもないし意欲もないので時が過ぎないのです。夜はもう午後8時に寝て朝の4時半頃には目が覚めてしまいます。


今の最大の楽しみは、カメを飼っているので、その世話をすることくらいです。

脳梗塞になった。

2か月ほど前から右腕がしびれているので、脳神経外科に行ってMRIを受けたら脳梗塞でした。


太い血管が詰まったのではなく急に倒れて生死をさまようことはなかったのですが、いわゆる隠れ脳梗塞を引き起こしたようです。


今でも腕がしびれています。頭も重いです。とりあえず血液をサラサラにする薬を飲んで様子を見るようです。



このところ病気になりそうな兆候が多くあり、先だっては舌が腫れて痛くて首のリンパも腫れて食道がんを疑ったのですが、過労からくる口内炎でした。



その前は大腸がん検診が陽性で大腸がんを疑い、その前は、下腹が痛く、おしっこの回数が異常に多く前立腺がんを疑ったのですが、すべて癌とは診断されませんでした。



老人になっていくと思うことですが「病気になりたくない、まだ死にたくない」と思うようになりました。



若いころは、いつ死んだって運命だから「いいや!」という考えが強かった気がしますが、弱気になってきたようです。



あと何年生きるかわかりませんが、自分の寿命が解ればいいと思います。そうすれば自分なりに覚悟もできるのに・・・・

人間の人生なんて

 人生について、子供のころから考えていたが、これだという人生はないということが、ずっと前からわかっていた。  



人間の人生なんて、尊敬され世界を動かす偉い人も、家族を殺してメディアに出る憤りを感じる容疑者も、宇宙ができ、やがて地球が誕生し現在に至る膨大すぎる年月を考えれば、その人間がどれだけの価値があったのかわからない。人間なんて生まれて死ぬまでのウイルスにも満たない小さい存在で些細なことに一喜一憂することがおかしい。



だが、現実には全くそうはいかない。人間が自分を宇宙と比べて始終、宇宙の大きさや宇宙の誕生して今までの天文学的年月など考えるわけがない。



ごく小さい生活範囲の中で、人は喜び苦しみながら、生まれて死んで人生が終わる。むなしいと言えばそうなのだが、「まあ、だれでもこんなもんだ」と言えば、それで完結してしまう。生物はなんでも死を迎えるわけだが、人間だけが人生とは何ぞやなどと考えるわけでアリや犬でさえも考えていないと思う。



自分は、おこがましいが考えてしまう。宇宙がどうの他の生物がどうのなど考えるわけがないが、他人の人生などどうでもいいが、家族や自分の人生はよくありたいと願ってしまう勝手な人間で、天国や地獄も信じず魂などあるわけがなく死んだら無しかないと思っている。



しかし、生きているうちは、できれば善人な良い人でいたい。

癌ではなかった!

下腹が痛いので大腸がんの検診を受けたら陽性でした。


そこで、大腸に内視鏡を入れて精密検査を受けることになり、その当日の午前中に下剤を2リッター飲み、大腸を綺麗にしてから病院に行きました。


肛門からカメラを入れるので、尻の後ろがパックリ空いた使い捨てのパンツを履きました。


ベッドに横向きに寝かされカメラをグリグリと入れました。


頭の上にディスプレイがありリアルタイムで大腸の画像が見えるのですが、担当の内視鏡技師は大腸は曲がっているのに、グイグイと押すので痛くてそれどころではありません。ほんの僅かチラッと見るくらいです。


胃カメラの方が全然、楽です。


ポリープがあったので、内視鏡を入れているときに焼き切りました。痛みは全くありません。


1週間後に医師からのヒアリングがあり、話を聞くと「癌ではありませんが、ポリープは取り切ったとはいえ、癌になりうるポリープなので経過を見てください」と言われました。


実は自分では癌を覚悟して葬式まで考えました。


葬式は火葬のみにして、立ち合うのは妻と妹だけでいいと思いました。なるべく人に死んだことを知られたくなかったのです。なぜかというと親戚や知人に私ごときのことで煩わしい思いをさせたくなったからです。


今思えば死ぬようにならなくて良かったような気がします。もう66歳になるので、ここまで生きれば、「まあ、いいかな」という感じでここで手を打とうかと思っていました。


自分なんかが長生きしても何にもならないと思っていたのに、いざ、まだ生きられると思ったらちょっとうれしいような気もします。