60才からのひきこもり貧乏ブログ

仕事を半リタイアし、つましい日々の暮らしを綴っています。

子供の頃は、いじめに合っていました。

今日は、秋晴れで、ベランダから、ひつじ雲が見れてきれいでしたね。



ベランダから大きいランドセルを背負った女の子が、不安そうな顔をして歩いているのが見えました。体が小さいので、ものすごく大きいランドセルに見えて、切なくなってしまいます。



自分は、身長が156センチしかなく、男としては、かなり小柄な方で、最大の劣等感であります。学校で整列するときは、決まって一番前に並ぶことになりました。



そのため、小学、中学と同級生や下級生、さらに上級生まで「チビ! チビ!」といじめられました。



さらに、両親が新興宗教にはまっていて、チビだと馬鹿にされるのと、宗教をやっていることを悪く言うのと、ダブルで登校中に大声で悪口を言われたものです。時には、カバンを泥靴で蹴られたり、体当たりをされたりするのです。



登校するのは、田舎の山道なので、それほど生徒とは会わないのですが、いじめる輩は決まっていていました。



校舎の中では、先生の目があるので、はやし立てたりはしませんが、先生のいない休み時間には、プロレスごっこの相手とされ、その当時、流行っていた四の字固めや卍固め、空手チョップなどの練習台になっていました。



小さくて力の無い自分は、格好の餌食で、いじめっ子の優越感を育んでいたのです。



生まれつき内向的性格で、やり返すことができるほどの技量はなく、親にも、先生にも言えず、学校に行くのが嫌で、毎日、憂鬱な気持ちで学校生活を過ごしていました。いじめる人達は、いじめられる人の気持ちが理解できないのです。



クラスに少し頭の足りない女の子がいて、授業業中に小便や大便を漏らしていました。登校しても、一日中しゃべらず、授業時間がすべて終わるまで、自分の机に座りっぱなしで、いじめっ子からは、この女の子も標的でした。



「弁当が麦飯で、おかずがまずそう・・」とか、「汚い、ばい菌!」とか言われていました。自分は、席が隣になったことがあり、あまりにもいじめっ子が悪く言うので、勇気を振り絞ってかばったりすると「〇〇子のことが好きなんだ、結婚するんだ・・・」などと言われて弊行したものです。



下校する道が、途中まで同じだったので、その女の子と誰も見ていなければ、一緒に帰ることもありました。話しかけるとびっくりするほど低い声で、一言だけ答えます。



ある日、並んで歩いていると、上級生のいじめっ子に出くわし案の定、女の子は罵られ、突き飛ばされたり蹴られたりしましたが、自分は何もできず、見ているだけでした。



「お前もやれ!」といじめっ子に命令され、仕方なく自分は軽く、女の子の背負っているカバンを蹴りました。その瞬間、女の子が自分を見ましたが、その目は「お前も同じなのか・・」という失望の眼だったのです。



やがて、女の子は足払いをされ地面に転がされ、いじめに慣れているせいか、めったに泣かない女の子が、大粒の涙を流して泣いてしまいました。



それで、いじめっ子は先に行ってしまいましたが、もう自分と女の子はしゃべることもありませんでした。



この出来事は自分が10歳くらいのことなので、もう50年も前の話です。しかし、女の子は、自分に裏切られたと思い、あの時の女の子の目が、今でも忘れられません。



自分は、最低の人間です。もし、あの子に会えたなら土下座して謝りたい。あの時、自分に勇気があったら・・・かばうと、こっちがいじめの対象になるのが怖くて、いじめられる惨めさがわかっているのに、自分より弱い女の子をいじめてしまったのです。




子供のころの体験と引っ込み思案な性格から、自分は、社会生活において、コミュニケーション能力に欠け、人間恐怖、人間不信が常に心の中に存在し、あきらめと逃げの人生を歩んできました。



「生まれてこなければ良かった・・・」と、自分を生んだ親を恨んだことさえありました。親は苦労して自分を育ててくれたのに・・・・



もっと有能な人間として生まれたかったと思いますが、かなわないことです。