60才からのひきこもり貧乏ブログ

仕事を半リタイアし、つましい日々の暮らしを綴っています。

コミュ障を克服するのは、、対象相手を膝まつかせて涙を流させ、感動させること!!

自分は、極度のコミュ障です。今の職場で10時休みに職場のすべての人間が一同に集まり、お茶を飲みながら談笑するのですが、これが自分にとって苦痛で恐怖の時間なのです。



この前、一人の古株のおばさんに「これだけ人がいるのだから何かしゃべらないと!」としゃべりを強要されました。自分もしゃべりたいのはやまやまですが、しゃべることが何も頭に浮かびません。考えあぐねてしゃべることが見つかっても、こんなことをしゃべったら馬鹿にされるんじゃないかと恐怖で口をつぐんでしまいます。



自分は恥をかくのが嫌いで馬鹿にされることも嫌いなのです。いわば荒波に身を投じることができず、岸辺で嵐を見ている卑怯で不甲斐なくて最低の人間なのです。



映画やドラマの主人公は常人では真似できないようなことをやってのけます。それに比べて自分は何もできないと嘆き自分はダメな人間だと自己嫌悪に陥ります。けっして話のタネにならないどうでもいい人間です。



この苦悩を打破するには、人に感動を与えるような人間にならなければ解決しません。相手の人間を膝まつかせて涙を流させるような何かをしないと生きている意味はないのです。

どんどん気力が失せていく!

やる気が全く出ず、気力が失せていたので、ブログの更新がしんどくて長い間さぼってしまいましたが、今日はどうゆうわけか書いてみたい気がして書いています。



つまらなくて退屈で代わり映えしない毎日が続いていますが、何とか生活はできています。収入は少ないですが、贅沢はしないのでやっていけるのでしょう。



仕事は平均して週に四日くらい働き、それもフルタイムではなく、一日、6から7時間くらいの労働時間です。62歳になりましたが、この年で目一杯働くなんて疲れてしょうがないので願い下げです。



何も楽しみがなく生きていると、ただ死ぬのを、待っているだけの余剰人生を送っているように感じます。何をやっても楽しく感じないのですから当たり前で、夢中になれることもないので一日がとてつもなく長いです。



人々の中には老人になって旅行に行ったり、ダンスやカラオケをしたりその他もろもろの楽しみを見つけて第二の人生を謳歌している人もいますが、自分はそういったことが面倒で苦痛で、自宅で引きこもりとなるのが一番楽な生き方だと思うのです。



こんな生活では、毎日が退屈なのは、自分が好きでやっているようなもので、嘆くのはお門違いですが嘆くのです。



金はなく、時間と暇があるのに何もしたくないのは老人性の鬱かなとも思いますがどうにもこうにも変革できないのです。

悩みがないと不安で仕方がないのはどうして?

最近、悩みがなくなってきました。普通の人よりは少し落ちるかもしれませんが、これが俗に言う「しあわせ」というものなのでしょうか? ところが、悩みがなくて平和な暮らしをしていると、いつか災いが来て押しつぶされるだろうと不安で不安で仕方がありません。



平和で幸せな暮らしには慣れていません。悩みがあっても鬱っぽくなるし悩みがなくて波風たたない暮らしに恐怖を感じてしまいます。しかし、悩みのある暮らしをしたいのではないのです。



現在の平穏な暮らしに慣れたいのですが、貧乏人が大金を手に入れたときに泥棒にすべて盗まれる心配があって夜も眠れなくてノイローゼになって死んでいくのと一緒で安楽な生活を送っているととんでもない災いが自分を地獄に突き落とすような気がしてすごい恐怖なのです。



被害妄想が強く贅沢な悩みかもしれませんが、こんな感情にさせる今までの自分の人生はいったい何だったのでしょう。もっと素直な気持ちになれたら、こんな取り越し苦労はしなくて済むのに、子供のころから極度の引込み思案で心配性で学校のトイレでうんこをすることはできませんでした。下校時にパンツの中に大きい方をむらしたことはあります。



他の人の目が怖くて面と向かって話をすることもできず、人のいない方いない方と行く傾向があり独りぼっちが一番安心できました。それが大人になっても続いていて社会生活に順応できません。



心の病なのでしょうが、他人から見れば自分の人間に対する恐れは理解できないでしょう。見た目は普通に見えるようですから・・・・

生まれて何もできないで年をとって死んでいく我が身

相変わらずつまらない人生を送っております。その原因はすべて自分にあります。楽しい人生を歩めないようにしているのは他ならぬ自分なのです。



馬鹿で間抜けでのろまでゴキブリの「くそ」よりも価値のない人間は私なのです。・・・・なんて、なさけない! 世の中、すべてはがゆいことだらけ!



「頼まれてもいないの勝手に自分を産みやがって」と親を恨んでも、親は子を思い大切に産み育てたのに悪魔のような醜い考え方しかできない自分は逆恨みをして自分を正当化している卑怯者!



もっと卑怯なのは、まだ死にたくない! 自殺をして人生を終わらせようとは思わないのです。なんて身勝手でわがままなのでしょう。



小学生や中学生の子供でさえ、虐待やいじめなどにあって本気で自殺を考え実行しているのに、その子供たちから比べれば、自分などたいして辛くもないのに、どす黒い脳みそと心臓は非常にずるくできていて潔さがありません。



醜くてずるくて卑怯な自分が嫌で、毎日悩んでいるのはとても馬鹿らしいことです。
自分は人並みに聖人君子になりたいのです。楽しい時には笑い悲しい時には泣ける素直な心が欲しいのです。



生きていても何もできない、何の役にも立たない、自分がなさけない!!

たいへん!肛門がヒリヒリする。

どうしたんでしょう? 肛門の調子が悪いのです。まさか、自分が肛門の病気になるなんて・・・・予期しない真実です。



局部を鏡で見たり、それでも飽き足らずスマホで写メを撮ったりして確認したところ5ミリくらいの余分な肉片が付いていて、肛門の皺も太く腫れている箇所がありました。



決して美しいとは言えない肛門です。もう60数年使ってきた肛門でかなり老朽化しているようです。まだ、血は出ません。ですがヒリヒリします。



医者に行くのは恥ずかしいので、ドラッグストアで買った「ボラギノール」を風呂上がりに肛門へ直接、指で塗り込んでいます。完治するには至りませんが、いくらかヒリヒリは緩和します。



以前の仕事で25㎏くらいの重量物を運ぶ仕事をしていたので、重量物を持った時に肛門に力が入り、それにより肛門に負担がかかり、いぼ痔になったと自己判断しています。



今住んでいる公営住宅がウォシュレットでないのも影響していて、ここに入居する前は常にウォシュレットを使用していて、水で洗った後は肛門を軽くトイレットペーパーで拭くくらいで肛門をトイレットペーパーでこすることはなかったのです。



しかし、現在は、水で洗えないので何度もトイレットペーパーで拭かないと気が済まないので、下痢の時などは悲惨で、便がトイレットペーパーに絶対付いてない状態にするため十数回は拭くので用を足した後の肛門はヒリヒリ肛門になってしまいます。



うだつの上がらない自分は、ウォシュレットにする金もなく、医者に行くのも嫌だし、ずっとヒリヒリ肛門と付き合っていくしかないのかもしれません。